■短話・記憶ノ欠片 [ 欺瞞と趣味の境界線 ]


   随分と暗い場所にそれは居た。
   気付けばそこを彷徨っていたというのが正しく、どのくらいの時間が経過しているのか数えようとしてみても一定のところで必ず解らなくなる。
   そしてそれをどれだけ繰り返しているのかすら気付くことはない。

   罪は何であったのか。墓所でありながら誰もそう訪れはしないこの場所で、長いこと足に括られた鉄枷と錘を引きずっていた。
   体がとうに朽ちている分、疲れを知ることも出来ない。ただずるずるとあてもなく引きずり回した歳月が、本来それなりに整った球体だったのだろう錘に凹凸をつけている。
   何のためにここにいるのか、思考は腐り落ちる体と同様に摩滅していく。彼らの多くはその事にすら気付かない。
   彼らとはなんだろうか。そもそもここにいる、この身が何なのか、それももう解りはしない。
   何かが呼ぶ、それに引き寄せられるまま意味も解らずに歩き続けていた。
   気が付けば減り、そしてまた増えている。当然の事だがそれがどこへ消え、どこから増えるのか理由も思い至ることはない。
   痛みのない体から、腐りきり自重に耐えられなくなった頬の肉が剥がれて落ちる。
   その瞬間に何を願ったのかも解らない。
   願いもその事実も、頬の肉と一緒に身から剥がれ落ちていた。
   融けた体の一部を拾おうと動く死人が手を伸ばす。が、その視界に入る靴先に動きが止まりのたりと重い動きでそれを見上げた。
   哀れだなと誰に言うでもなく呟いたのは生きた人間のようだった。黒に近い、裾の長い装束を身に着けているがそういう者を何というのだったか。何か特定の呼称があった筈だ。筈、なのだ、けれど。
   思考が摩滅している理由が脳の摩滅であることに気付ける死体は居ない。
   「そう喚くな。どれだけ願っても光は与えられん…運が悪かったな」
   続く声も、やはり誰に言うでもないような緩さがあった。紫煙と共に吐き出された一区切りだけが、眼前の不死へ向いている。
   生きた命を掴もうとするように伸ばされる不死の腕を軽くすり抜け、懐に割り込ませられたプリーストの左手はよく解らないものにまみれていた。
   よく見れば、不死の肌の色によく似た液体だ。進み出ると死にきれない囚人の腐った胸に触れる。
   「俺に与えられるのは、更に何もない死だけだ」
   だから時折減ることがあるのかと納得したのが、死しているのに動きまわり続けた死者にできた最後の事だった。

   衝撃もなく、全ての繋がりが瓦解する。
   肉体の死、魂の死、心の死。
   死にきれなかった部分を撫でるように分解した途端、動く死人がただの腐った肉塊に変化した。
   地面にべったりと染みを作り散らばった所為で腐臭が分散して広がる。とはいえ、長くこんな事をしているとその匂いも慣れたものだった。
   元々それに顔を顰めたことすらなかったが。
   最早ゴミにしか見えない残骸の合間にある、鈍い光に視線を止めた。手が汚れるのも構わず、歪んでしまった手錠をその内側から引き摺り出す。
   「罪くらいは拾ってやる。もう縛られる必要もなかろうしな…」
   荷から取り出した聖水を徐に手錠にかけ汚れを流した。輪の部分を持ち、振って水滴を落とす。
   こうして拾っていくから、気が付くと山のように溜まっている。忙しいとそのまま片付けもせず部屋の隅に置きっぱなしの事もあった。おかげ
   で見咎めたギルドマスターに、このサディストがと言われたことも少なくない。
   元のギルドのマスターであればどうだろう。何個まで積み上がるかを賭けにしそうな気がする。
   その事を思い返すうち、そういえばまた部屋の隅に積んだままだったことを思い出した。


▼10 [ 一種の放置プレイ ]



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